本ブログの中で大切にしたいことを共有するための記事になります。自分自身への自戒も込めて書いています。
このブログの中では他者の人生について勝手に判断をすることはしないということを大事にしたいと思っています。「トランスだったら○○であるはずだ/べきだ/すべきではない」といった言葉がありますが、そういった種類の表現は使用しません(というより私自身が「こうあるべき」系の発想をすることはほとんどないです)。そもそも、事実として、トランスの人々には多様性があります。
このブログにはホルモンや手術を推奨する目的はありません。しばしばトランスはいろいろな対立に巻き込まれることがあり、その中の代表的な一つの対立はホルモンや手術の有無に関することがあります。
ホルモンや手術をするorしないは本人が完全に自由な意思で自己決定することであり、他者がすべきorすべきでないを判断するものではありません。そのため、手術をするorしないことに優劣や正しさ、真正さを持ち出さないようにしたいと思っています。
例えば…
「ホルモンや手術をしないのはトランスじゃない」
「医療的介入を望まない人は大してしんどくない」
「手術をしたら”本当の男”になる」
「いろいろなことを犠牲にしてでもお金をためて手術をすることが正しい、それができてこそ”真の”トランスだ」
「手術をして”偽物”の陰茎をつけても"本当の男"にはなれない」
などなど…。
挙げたらキリがないのですが、トランスを取り巻くこういった言葉があると思います。
ホルモンや手術にはメリットとデメリットがあり、その現れ方には個人差があります。
手術は自分が快適に生きるため、経験する不快感や嫌悪感を取り除くための手段であること、他者から強制されたり決めつけられたり、勝手に意味づけて良いものではありませんので、ある人が選択したことについて、他の人が勝手に判断することは不適切かと思っています。
また日本社会においてホルモンや手術といったジェンダーアファーミングヘルスケアサービス(この表現を用いることについては後々ブログをアップしようと思います…)へアクセスする権利は十分に保障されていません。
日本ではジェンダーアファーミングヘルスケアに対して公的健康保険によるカバーは部分的にされていますが、ホルモンが保険適用になっていないために自費診療で賄うことが多いと思います。また、サービスを提供する医療機関の全てが保険適用にしているわけではありません。さらに言えば、保険が適用できる医療機関と適用できない医療機関を合わせても全国的に数が多いわけではなく、物理的なアクセスが難しい場合も珍しくありません。
トランスは一般人口と比べると様々な生きづらさを経験しやすいです。学歴、就職、収入などの経済状況、メンタルヘルス、ソーシャルサポートなどの面で困難な状況に置かれることがあります。
そのような社会的に不利な立場に置かれやすいトランスにとって、ホルモンや手術などにアクセスすること自体が困難です。
つまり、ジェンダーアファーミングヘルスケアへのアクセスは当たり前ではなく、権利として十分に保障されていません。するorしないも自己決定であることは当然ではありますが、そもそもホルモンや手術をしたいと思っても全員がアクセスすることはできないという現状があります。
ホルモンを使用することや手術を受けることが様々な自己犠牲(いろんなことを諦めて医療費を捻出する、など)の上に成り立つという状況は長らく続いています。そのような状況は当然とみなされていますが、本当はその状況自体が差別的であると言えます。
ホルモンや手術のことを含めて、トランスはいろいろな対立に巻き込まれることがあります。トランス同士が対立している、というよりこの社会がシスジェンダーに有利な形で設計されているがゆえに、その歪みによって対立が引き起こされると私は考えています。
とまあ、長々と書いてしまいましたが、人について勝手に判断しないことと、ホルモンや手術の有無で優劣や真正さを測らないことを大切にしていきたいと思っています。「アンタ!自分で言っといてそのルール守れてないやんけ(# ゚Д゚)」というときはお手数をおかけしますが、ご指摘いただけますと幸いです。
ブログを始めた動機の都合上、どうしてもホルモンと手術に関する情報が多くなるとは思いますが、ホルモンや手術を推奨しているわけではないこと、ホルモンや手術をすることに良いor悪いはないことをご承知おきくださいm(_ _)m